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用語集「空の思想」について

「空の思想」とはインド仏教における核心として、ナーガール・ジュナ(竜樹)の解いた空観のことである。
「色即是空、空即是無」という経文が残っていることから、空とは一見、無と混同して考えられてしまうことが多いが、これらインドから中国に仏教が渡来した際の誤訳であるとも言われている。


本来は空の思想とは「色(有)」と「無」を包摂する上位概念であり、「空とは無のことである」とは言い難い。
即ち、空とは「この世は存在している。しかし、この世の全ては人間が認識している概念世界にしか過ぎない。よって、この世という存在は確定的ではない。」と考える仏教の核心となっている。


こうした空観は数学でいうところの不完全性定理で得た現代科学での核心とも同一のものであり、それは核心を確定的にしようとする試みは不確定性原理によって遮られ、人は未だ核心を確認できないという現状もまた「空である」と言える。


この空の思想は「色即是空、空即是無」の誤訳のみを無神論者が引用して「神は存在しない」という仮説を立てることがあるが、空観では「神は存在しない」という定義は立てておらず「絶対である」という概念が存在しないのである。
よって神の存在、不存在を述べた思想ではなく、ただこの世界の核心を説いているというだけのものである。
これはグノーシス派が掲げるキリスト教の解釈に近いものもある。


このことから仏教は、日本神話を基とする日本文化にも溶け込むことが可能となったのである。
また、日本における仏教の多くは儀式化し、宗教と言う定義に納まるものと変わり果ててしまったものも多いが、本来の仏教はいわば東洋哲学であり、現代でいえば科学とも捉えることができるものであった。
その誤認は、現代人が過去の陰陽道を捉える価値観にも似ている。


仏教における修行とは、本来、この空観を得る(悟り)の為に行われるものであり、禅とはそれを端的に表した用語である。余談ではあるが過去におけるヨガとは現代のストレッチ体操のようなものではなく、その修行方法の1つであったとも言われている。


総合空手道武禅館では「武は禅なり」という思想から成り立ち、武術修行によって空の思想を体得することが目的である。


武禅館では「空手とは"手によって空を知る”」という定義を立てているが、明治期に船越義珍によって作られた「空手」という言葉がそのような意味を込められているのか否かは定かではなく、この定義付け、解釈は武禅館独自のものと言える。



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