第三話「視力を失って得たもの」


私は5歳の頃、視力を失って入院していた。
よく視力を失った人間のドキュメントや、障害者体験などで「視力を失った世界は恐怖」という言葉を耳にしていたが、私自身はさほど恐怖を感じていなかった。


むしろ、視力がない方がよい場合もあった。
見なくてもよいものを見なくても済む。


子供の頃は、父のギャンブル中毒によって慢性的に金銭苦があった。
給料日から月日が経つと、段々と食卓がみすぼらしくなってくる。
そのじわじわと金銭がなくなって行く様に、子供心ながらに恐怖を感じたものだ。


視力がなければ、そんな様子を見なくて済む。
また、入院をしているから、実質的に困ることもない。
"毎日、食事をとることができる”という幸せを、5歳にして噛みしめていた。


しかし、困ったことが一つある。
私は戦隊物と特撮が大好きで、その当時「●●レンジャー?」というものに憧れていた。
家に電力が通っている日は、戦隊特撮を見るのを楽しみにしていた。
しかし、視力がないと病院のテレビをつけていたとしても、見ることができない。
そこで悔しくて涙が出た思い出がある。


しかし、私は諦めなかった。
音を聞いて、テレビの様子をイメージする。
今思えば、その時の経験が格闘技に必要なイメージ力を鍛えてくれたのだと思う。


また視力を失って嬉しいこともあった。


当時、私は幼稚園や保育園の類には通っていなかったが、市営住宅に住んでいたおかげで、近所の子供達とは仲良くしていたつもりだった。
まぁ、大抵の場合、こちらが仲がいいと思い込んでいただけだが(笑)、その中の1人だけ見舞いに来てくれたこともあった。


「保育園で本を読みたかったのに、母ちゃんに無理やり見舞いに連れてこられた」
と本人は憎まれ口を叩いていたが、それでも私は嬉しかった思い出がある。


視力を失ったおかで、仲の良い友達は誰かがハッキリした。


私は約半年の失明生活を過ごした。
その後、左目のみ回復することができた。


左目が回復し、目を覆っていたガーゼを外したとき、私は思わず「見える!」と叫んだ。
そのとき視界に入った母が泣いていたのを今でも覚えている。



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